2012年10月11日木曜日

横浜でかつお包丁

高橋刃物製作所で土佐のかつお包丁が
有ります。割り込み包丁の黒皮付きって包丁だと思います。
土佐の打刃物も評価の高い鍛冶屋さんが作っていまして、一番有名なのは山仕事に使うナタが
有名だと思います。もともと山仕事に使うぐらいですから、頑丈に作ります。そこから発展して
出刃とは違う割り込み包丁に発展したのだと思います。
出刃でも黒いところを削らずにそのままの理由は、黒皮が錆びないので刃の部分だけを
研げばいいという理由なんだと思います。カツオの鰹節を大量に造るのに一本の包丁で
全てやる・・・頭を落としたり三枚に下ろしたり、皮もこれではがします。
料理屋では、まず使うことがないと思います。割り込みのナタを包丁にしたような?
とにかく丈夫に造るようです。

高橋刃物製作所でも、薬師寺の西塔の再現に使われた和釘を造った白鷹幸伯さんと交流が
有りまして、そんな事も関係してるのかも?
本にまでになった白鷹さんですが、オヤジさんが鍛冶屋でその仕事が嫌で東京の刃物問屋で
働いていた頃、日本で初めてステンレスの包丁をモノにした高橋の刃物を見ていたんですね・・・

お兄さんが鍛冶屋の跡取りとしてやっていたのですが、他界して跡取りとして戻って鍛冶屋に
なったそうです。
昔ながらの、土佐包丁を造りながら、研究して錆びない釘を造り始めた・・・
宮大工の棟梁が千年持つ檜の木造建築物を造るのに千年持つ釘が必要という事で
解体された建物から出てきた古釘や古い鉄をわざと錆させたり・・・土に埋めたり、海につけたり
して徹底的に錆びさせて、それを削り落として鉄の粉にして、また熱して鉄にして・・・
ようやく千年持つ釘を造り上げた人なんです。

そんなに有名になると、当時の東洋水産から包丁の依頼があったんだそうです。
「横浜の高橋刃物なら錆びない包丁が有るから行け」と・・・・

重役たちが白鷹さんの紹介でわざわざ横浜まで来たんだそうです。
「白鷹?しらないな・・・」 親父さんの一言で重役たちは驚いたそうですよ・・・
俺は、知らないが向こうがうちの包丁を知っていて紹介されたなら
どんな包丁が欲しいか言えよ・・・笑

その後、東京に出てきた白鷹さんと銀座で出会い話しをしたところ
問屋で仕事をいてるときに高橋のステンの包丁を見たんだそうです・・・・・

親父さんは、斬れないステンを切れる包丁に・・・
白鷹さんは、錆びる鉄を錆びないように・・・相反する仕事ですが

親父さんが、200年くらい前の外国の船の碇のチェーンを送り
白鷹さんからは、これを送ってきた。薬師寺等から解体されたときに出てきた釘を
重ねて焼き、鉄板になる前の物です。これがどんなものか知らなければ?
価値が解ればすごい品物ですよ・・・・

そんな土佐刃物の流れからオヤジさんが造りたくて造ったのが店では売り残りが
多い鰹包丁です。(笑)

地鉄(軟鉄)を焼いて赤らめて割をいれハガネを間に入れて造るので
霞の出刃のように出来上がってからハガネが引っ張って歪みが出ることも無いので
荒い仕事をしても大丈夫なほうちょうです。

店や家では使うことのない・・・・?包丁ですが、漁師さん等は非常用の鉈の代わりにもなるし
魚も下ろせるし・・・万能包丁なのでしょうか?漁師さんは海にはもっていかないか・・・


6 件のコメント:

  1. 先日かつお包丁のコメントを入れたものです。

    高橋刃物さんにこの形がある理由、納得しました!白鷹さんつながりとは意外な…

    にしても、高橋刃物さんのは土佐が源流でしたか。
    土佐物はネットでの攻勢が凄いので、この「かつお包丁」形は土佐の物という認識が一般なんでしょうかね…私は千葉の型だ!と言いたいけど。外房の鍛冶屋さんはHP持ってるところなんて無いですからね…
    まあ千葉の地庖丁の一つであることは間違いないです。鍛冶屋さんでは結構売れ筋の型です。出刃型だと、鯵切り(両刃)もメジャーかもしれません。

    この「かつお包丁」(千葉の魚包丁)を使っているのは、一般人じゃないでしょうか。漁師を含む一般家庭の魚用万能包丁…的な位置だと思います。漁師用の鉈は別にあります。
    鰹節工場が使ってるかどうかは、今度勝浦行ったときにでも聞いてみますかな…

    とにかく見たことのない人には何だこのカタチ?かも知れませんが、使って納得!なはずです。今値引きセール中なので、試用のチャンス?(笑)

    いずれにしましても、当方のコメントに記事で答えてくださり、ありがとうございました。



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    1. オヤジさんの研究心からいろんな包丁を造って試してなので源流とは
      いかないと思いますが、元は牛刀から始まり、どんな包丁が一番斬れるかと
      錆びない包丁からなので、本を見たり写真を見たり、本物を買って見たり・・・
      オヤジさんはネットの事は全くわからないので、そんなところだと思います。

      昔は、各村や各漁村に鍛冶屋が必ずあって包丁も農耕具もその土地に合った
      形や構造があったものと一般的に言われています。鰹節も伊豆、紀州、五島列島
      薩摩などかつおが取れる所から貿易に使われるようになり、カビを使う製法が進み紀州の人が房州千倉などに改良型鰹節を広めたと歴史があります。
      土佐は、元々林業が盛んで割り込み鉈を多く作っていたそうです。
      構造的に丈夫さと機能で鰹節に使う包丁に進化していったと言う文章が
      紹介されています。土佐藩も鰹節を貿易に使うため多く使われてきたと
      言われていますよね。房州の鰹節は紀州からの流れというわけで、包丁も
      そんな関係があったかとの想像しています。全国の鍛冶屋という本が出ていますが、それがそのままだとは思いませんが、良かったら調べて教えてください。最近ではコマーシャルが上手い所が刃物の街とか地方を挙げてのアピールで、どれが本物なのか?本当に判りません・・・

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  2. 房総は紀州とのつながりは強いらしいですね。醤油もそうですし…

    ただ、かつお包丁型が紀州にあるかどうかは、いまひとつ分かりません。紀州の鍛冶屋さんもネット攻勢かけている訳ではありませんし、行ってみるしかないようですね。
    まあ、広域に分布してる型を、勝手にネット上で特定の地方の型であるような言い方は辞めて欲しいものです。

    全国の鍛冶屋に関する本は図書館にニッポン鍛冶屋カタログというのがあり、実は私は以前から存在を知ってた外房の鍛冶屋さんがこの本に出てる(表紙の写真も)のを鍛冶屋さん自身から教えてもらいました。この本の筆者は別の本で、包丁の型が黒潮を通じて伝播した?という説を書いていますが、まんざら嘘でもなさそうです。ただ、文献などもあるわけじゃないし、証拠を出せといわれても無いのが実情でしょうか。

    「最近ではコマーシャルが上手い所が刃物の街とか地方を挙げてのアピールで、どれが本物なのか?本当に判りません・・・」これは自分も気になり、ネット上ではらちがあかないので本などを当たったり、人に聞いてみたりしてます。
    そして最近分かってきたことは、こういう産地を上げてのアピールを行ってる所は、もともと刃物を行商してた所だということまでは突き止めました。土佐あたりから北海道まで行ってたらしいです。

    行商文化を持つところが、時代が変わってもインターネットというところで電子版の行商をしている…というのが現在の私の自説です。しかし、そうした流れの影で、関東で築かれた実直で高度な技が消えていくのはあまりにも惜し過ぎます。(高橋刃物さんも含めて)

    こういう事を書き続けると他の方のブログを汚してしまいそうなのでこれで辞めときますが、包丁の型や、産地などについては、引き続き個人的に調べていこうと思っています。

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  3. 千葉出身で望郷の思いは判ります。
    魚も地方によって名前が変わるので、有名になったモン勝ちで良いのでは?
    醤油も元は、中国からの味噌の上澄みが日本の醤油の元祖といわれ、
    金山寺味噌から徳川御三家の紀州で醤油の元が売られ始め、江戸に近い千葉で
    作られるようになったのが発展して関東の醤油になってきたって・・・
    関西の白醤油などは塩水で薄めた醤油が京都で評価されて発展してきたとか
    九州の醤油は、砂糖が生産できたので砂糖が入った醤油を大正時代に輸出して
    九州は、甘い醤油の文化が出てきました。九州も南に行くともっと甘くこちらの
    人が刺身を食べれないほどです。ですが?九州の人たちは、食べ慣れているので
    あの醤油でないとダメって言うしね・・・山口県ぐらいまでは甘い醤油があるんですよ。金沢でもあるのには驚きましたが・・・昔は甘いものは貴重で高く売れたのだと思います。
    わさびも刺身には当たり前のようですが、これも元々は、静岡市・・・徳川家だけが
    作っていました。伊豆の藩主が田んぼの面積がないところで貧しかったので
    幕府にお願いしてわさびの生産が始まったと・・・ですが今では長野の安曇野わさびの方が有名なのでは?生産量が多いですからね・・・これも練わさびや粉わさびは
    わさび大根で作ります。西洋わさびですね・・・それに着色してグリーンにして
    何処でも安く使えるわさびなのです。本わさびを擦って使うようになったのは、まだまだ最近なのでは?

    高橋の包丁も同じです。日本古来の鉄で包丁を作るより、錆びないで斬れる包丁を
    目指して来たのですから・・・昔ながらの製法だけではなく、研究をして出来上がった包丁ですが、ほかが真似をできない程の時間が掛かる事だから儲からない・・・
    儲からなければ給料も安い、仕事は辛い・・・無くなるわけです・・・

    現代社会では、沢山儲ける人が評価される時代です。
    しかし、良いものが埋もれるのは勿体ない事なんで高橋刃物製作所の
    応援ブログを書いた訳です。一日数百人が観てくれるブログになるのに
    数年掛かりました。その間にあとを引き継いてくれる人が現れるとかを
    考えながらやってきました。注文だけで高級な包丁で誰でもが使える訳では
    ない包丁だけを作っていればもっと有名になれていたかもしれません・・・
    親父さんたち兄弟は、有名になることより良いものを作るだけを考えて
    きたので、閉店になったわけだと思います。

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  4. 横入り失礼します。
    この包丁の形ですが、確か北斎の版画に魚を切る画があり、その時の包丁がこんな形ではなかったでしょうか?
    もともと包丁自体がこんな形だったのでは?という気もするのですが。
    むしろ、古い型が残っていた…それがカツオを捌くのに最適だったから、いろいろな港町で残っていたのでは?と愚考するしだいです。

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  5. 高橋のかつお包丁は、土佐の形と違います。
    土佐の形は三角で刃も真っ直ぐだと思います。
    ただし、割り込み包丁が土佐が有名だから作り方として
    かつお包丁と出してるんだと思いますよ。
    龍とか幽霊とか日本人が想像すると北斎の絵を思いつきませんか?
    それに近いものを感覚的に言うのではないかな?
    海辺だと、割り込みの黒皮がついている方がサビに強いので
    良いのではないかな?
    元々が包丁を焼入れすると黒皮が付くのか?付けるのか?
    あれは、酸化皮膜になるので鎌でもついてるでしょう?
    売るのに説明しやすい用に名前が付いています。

    ココが問題・・・千葉は山が少ないので鰹節に使うとハゲ山になってしまいます。
    五島列島もそうで、かつおが取れても鰹節を大量には生産できない・・・
    よってかつお包丁というより魚包丁というのではないかな?
    千葉で鰹節ってピンと来ないでしょう?

    北斎の版画ではいろんな包丁が出てきます。絵を見て包丁って判らないと
    いけないし・・・その頃の包丁は出刃でも黒皮付きだし、包丁でスイカを
    きった包丁は今で言う菜っきり包丁の大きいやつですよ・・・

    ようは、このような包丁が魚包丁と何故?呼ばないか?でしょう?
    昔の包丁はほとんどが黒皮がついてるんです・・・農耕で使う物もそうだと
    思うのですが・・・昔は・・・どんな形ででも包丁って名前でしょう?

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