2012年9月28日金曜日

高橋の親父さんとの関係

30年も通ってる常連のお客さんも工場に入れてもらえたのは数回だけ・・・
基本的に危険な工場内なので入れてもらえません・・・工場に居る自分を見て
不思議なんだそうです???

 丁度暇になった頃に買いに行っていきなり高価な包丁を買ったのも「なんだこの人?」と
 思われたみたいで、オヤジさんがこの包丁を使いこなせるのか?って・・・
 10万円を軽く超える包丁だから店の飾り?売れないと思っていたそうです。
 ここで買った訳では有りませんが、30年前から使ってるんだと言うと「何本目?」
 ペティーを二本です・・・25年使ってるというと笑って「仕事してないな?」だって・・・
 口の悪いオヤジです・・・次の機会に25年使ってるペティーを持っていくと・・・
 あれゃ~ホントだ・・・その頃の包丁だわ・・・5cmぐらいは短くなってるがピカピカに
 磨いてるのでオヤジ様もビックリ・・・兄弟三人が仕事を止めて見に来るし・・・
 いろいろお客さんが砥ぎに持ってくるがこんなに手入れされてるのは初めてだと・・・

 それからその時代の材料の話や造り方の話を聞いたりして・・・・そんな苦労をして
 造ったんだ・・・とか聞いていました。


自分的には、一番安い光印のペティーでこれだけ長持ちするのに高価な物はどんな?
そんな好奇心で買ったわけですが、今でも当時の光が一番ですが・・・(笑)       
店のHPでもそれまでは特上光までが出ていまして極上とか本焼きの牛刀など
出てないので(高価すぎて売れないと本人達)本焼きの牛刀など有るんだ?
ぐらいの気持ちでした。なので見せたペティーのおかげで親父さんたちと 
少しずつ話しをするようになった訳です・・・・・・                 
数年で他の兄弟の仕事を観察して、次男さんの砥ぎを勉強して質問する・・・
奥さんにもニコリともしない職人気質な人で、今でこそ冗談も言いますが
近寄りがたいオーラがプンプンしてました。解らない事は聞くがモットーなので
知りたがりな性格なもんで、見てやってみて解らないと質問する・・・     
うるさいやつなんです・・・・・笑                           
数十年通ってくるお客さんと、数十年使ってるので、親父さんたちには
同じなんだと思います。                              
特に親父さんは、兄弟にもこの鋼材でこうやって造ってるとはあまり言わないで
新しい鋼材で同じ名前で出したりするので、造ってる三人以外の兄弟や店の
人には言わないことも多いのだとか?                       

オヤジさんに質問するので店の包丁が詳しく知っているんですよ・・・
たまには、買いに来たお客さんに説明をしてくれとか・・・・準従業員?(笑)
   極上包丁の説明をこのブログで出してから極上が売れて日本全国へ旅たって
行きました。ですが親父さんも少しボケてるのか?聞き方が悪いのか?
ブログでも前と後では少し違います・・・・涙                  
特殊合金の話も兄弟はあまり知らないのだそうです・・・・・・・・・・     
また変なもの造ってる?と思っていたそうです・・・・            
企業としてはダメ社長かも? 

   愛知製鋼の渡辺さんと研究して出来た包丁も日曜日などに二人で試作していたりで 
      兄弟でも知らなかったことがあるようです・・・そんな話まで聞いているので        
      常連さんも不思議に思えるんだと思いますよ・・・・いちようブログで説明するので    
 正確に聞かないといけないと聞いただけなんですけどね             
               
         そんな理由で包丁を買って使ってみてブログで書く・・・・・                    今では使いきれないほど所有してしまってるのですが・・・・  

本日も目黒の若い料理人が、包丁砥ぎに来てます・・・結構良い感じに砥げてる
のですが・・・まだ気に入れないようでして・・・昼間も包丁砥ぎの質問しに光友を持ってる
若い奥さんが来ました。光とハガネの二本もちでして高橋が閉めると自分で砥ぐ
ようになりたいんだそうです。                              
包丁はできれば自分で砥げるようになる方がやはりいい・・・そう思います
                 






2012年9月27日木曜日

高橋刃物製作所 OEM包丁

神奈川県で手造り量産してる包丁鍛冶屋は高橋が最後だったと思います。
50年の歴史が終わり工場は少しずつ解体されていくのを見ると辛いです
この高橋刃物製作所は光友印で造って居ましたが、元々は刃物屋のOEMがほとんどです
大阪の鍛冶屋さんもほとんどがそうで、誰が造ったか判らない物なんだそうです。
親父さんたち兄弟が修行していた源正金という鍛冶屋は前回の画像でも判るように
戦後の金属がない時代に社長が爆弾で壊された鉄道のレール等を何処からか仕入れて
包丁を作っていたそうです。戦後の鉄のない時代に刃物の鉄を仕入れるだけでも大変で
何処からか仕入れていたそうで、造れば売れる時代だったそうですよ。          
東京タワーを造るときも鋼鉄が日本に少なくて、戦争が終わって使わなくなったアメリカ軍の
戦車や軍艦を溶かして鋼鉄の東京タワーを造ったぐらいだったそうです・・・・         

そんな時代ですから包丁は造れば売れる時代で、関東の洋食屋やホテルのコックは
ほとんどが正金の包丁を使っていた訳なんでしょう?修行時代の店でも正金の包丁が
いっぱい有りました。よその店でもそうです。ですが造れば売れる・・・段々と手を抜いて
いい加減な包丁も売ってしまうので判る人は他の包丁を使い出して売れなくなり・・・・・・
悪評で使う人が居なくなった・・・・高橋のおやじさんたちもそんな仕事が嫌になり独立・・・
ほとんどの鍛冶屋が重油や電気釜で包丁を造るようになったのもこの時期からで    
親父さんは、脱炭(包丁の炭素が減る)や硫黄などの不純物が入るなど、火造りでの作業が
製品のランクを落ちることを嫌がりずうっと炭とコークスを使い続けてきました。       



炭素の火だけで金属を錬る火造りなので高橋の刃物は脱炭せず、逆に浸炭していきます。
今では鋼材に最初から炭素を含ませ炭素量1.3とか1.5とかの白紙や青紙や特殊鋼などが 
手に入るので、少し脱炭しても大丈夫なんだそうです。うちは青紙2号だからとか言っても
火造りで重油でやれば脱炭して2号が3号に・・・ほとんどがこんなもんです・・・・・・・・・・・・
親父さん兄弟が造ると3号が1号なみの炭素量になるほど練込みますから切れどまりが
遅れ、よく斬れて砥ぐ回数も減るので長持ちする包丁になるのだと思います。       
ここで大切なのが強力鍛造で鉄を錬る・・・練らないと浸炭しない?親父さんのこだわりが
鍛造作業です。売ってる機械では力が足りないから自分で造る、改造する・・
こんな強力鍛造する鍛冶屋は他にはあまりないでしょう?
材料の無駄と経費がかかりますからね・・・・・・・・
ましてステンレスは硬いので鍛造は強力で無いと出来ないんだそうです・・・・・・・・・・
他の鍛冶屋がステンレスで良いものを造れないのはステンレスに勝つ機械が
必要なんだそうですよ。高橋の刃物は全て強力鍛造なので
ギュッと絞めてあるので密度が高い・・
なので耐久性があるので減らない包丁なんだと思います。
    実際にペティーで20年も使えるのは他に見たことが無いのです。                                                      

この若い料理人も最近高橋の極上牛刀を手に入れて、うちの店で砥と鏡面の
作業を勉強しに東京からわざわざ仕事の後に来てやっています・・・・・・・・・・
 高橋の刃物は見た目より製品のクォリティーなので、よその包丁より見た目が荒いです・・・
 鏡面にするにも鍛造や研磨の傷が・・・・これを鏡面にするとすごく綺麗になります。
 これが大変でして耐水ペーパーで180番から順に2000番までやってバフがけで
 出来上がりなのですが、それから刃を付けて行くのがまた大変でしてハマグリ刃まで
 持っていくとなると大変な作業です・・・笑

 砥いだ包丁で紙を切って切れるのは当たり前・・・紙に包丁の刃を動かさないで
 すぅ~と入っていく砥ぎで出来上がりです・・・これは数をこなしていかないと出来ませんが
 じきに出来るようになります。若い料理人はまだまだ出来ないようで????
 今週末も来るそうです・・・(笑)
  熟練が良い包丁を造っても、使う人が包丁を使いやすいように育てるのが出来無いと
  どんな包丁も同じ・・・包丁は育てるもんです・・・・


 ここからが本題・・・OEMです。
  高橋刃物製作所も包丁を問屋へ収めるのが昔ながらの仕事でして、刃物屋から
  注文が問屋に行って刃物屋の刻印を押して問屋に収める・・・なので使う人は何処で
  造られたか判らず。刃物屋の言いなりでしょう?
  高橋刃物でも自分の所の売店と問屋に少しだけ光友印の印を入れて売っていますが
  殆どは、刃物屋の印を押して問屋に出します。日本中の刃物屋の印が有りまして、
  今回の廃業で全て傷を入れて廃棄処分をしました。傷を入れる前に金属に入れると
  犯罪なので・・・紙に押してみました。数百は有った中で有名な刃物屋の印を試しに・・・
何故?犯罪なのか?いい加減な包丁にこれを押して売れば喜ぶ人が居る。
詐欺ですよね・・・・笑。 なので実は高橋刃物で造った包丁を使ってる人も
大勢いるという訳です・・・・・・・・  
あそこの包丁以外ダメ・・・ステンはダメよと言い切る職人もいますが
意外と高橋刃物が造った包丁を使っているかもしれないという訳ですね
                         
名前に傷を入れて処分しましたが・・・欲しい人もいるでしょうね?

2012年9月21日金曜日

米を取りに新潟へ

一年間分の米を横浜の自宅に置いておくには多すぎるし、夏の暑さでダメになる・・・
大昔に父親の道楽で新潟と群馬の県境に建てた別荘にコメを保管してます。
親が年間の三分の一は向こうで遊んでるので定期的に宅急便で送ってくれるのですが
ここ一年は、高齢になってタマにしか行かないもので車で取りに行ってきました。
 仕事が終わってから夜中に向かい昼前に帰路へ・・・ただ帰ってくるのも勿体ないし
 別荘の近くに温泉も有るので入ってくるのですが、今回は久しぶりに群馬の温泉へ
立ち寄りヘロヘロになって帰ってきました。
 今回は、ずいぶん久しぶりな四万温泉と尻焼き温泉と草津温泉

細い山道を使うと継っているのですが、10数年前より大分良い道になったかな?
という程昔は酷かった・・・今でも狭い山道なので一旦は山を降りて迂回が賢明です。
平日の雨の日なので人は少ないです。ほとんど独り占め・・・最後に廻った草津の街だけは
そこそこの観光客が居ましたが・・・雨が凄くて写真なし・・・・

今回、廻った温泉は全て無料の天然温泉です。温泉好きには堪らない所ばかり
草津は、有料でも凄くいい温泉施設が有るのですが・・・街で管理している住民用のお風呂が
いくつも有りましてそれぞれ源泉が違うので面白いですよ。草津の温泉は湯畑の源泉が
有名ですが、その上の賽の河原の源泉は少し青がかっていまして数百メートル違うぐらいで
感じが違うんです。街の上の方の源泉は更に酸性度が高いのか?ヒリヒリするぐらいな強さです。
紅葉はもう少し後みたいですが、これからの季節は温泉が良い時期になりますね・・・

2012年9月19日水曜日

柳刃包丁の鏡面

昨晩から親父さんの最後の作品の柳刃包丁なんですが、今日見たら気に入らない・・・

 思い出の包丁というか?先々に話の中でこんなの造っていたんだよって
 一本を自分用にする。ならキレイに磨いてあげるよ~と磨き上げたものの
 どうもイマイチ・・・・

 閉店後に、砥石で砥いで面出しをして見ると微妙に曲がってる?
 ガラスの上に乗せると隙間が・・・お湯の中で温めて少しずつ修正してみました。
 折れたらどうしょう?笑・・・最後の一本なのにね・・・完璧にはならないながらも
 ピタっとガラスに付いたのでいいかな?です。
 
 手造りなのでどうしても凸凹してるんです・・・・鏡面にしないと判らない位なのですが
 1000番の耐水ペーパーから2000番まで使いまた砥石で砥いで見ること数回も繰り返し
 青棒だと熱が入るので、いつものクリーム状のコンパウンドを着けてリューターで
 熱が入らないように少しずつ・・・最後に砥石で糸切り刃を着けて完了しました。

長年使うと砥石だけで鏡面になるのですが、新品の包丁はこれに限る・・・・

鏡面にすると切った物が張り付くって言う人がいますが・・・
本来、まな板も包丁も乾いた状態で使うものではありません・・・なのでこれで良いのです。
モノによってくっつく物も有りますが・・・固く絞った布巾で拭いてから使えばOKです。
逆に、包丁にデコボコが有る包丁はくっつかないから良いと言う人がいますが
知らないのか基本がなってないのか?そういう包丁は逆に汚れが落ちにくいので
最近は、プロの料理人は使いません・・・
よその店で、いまだにそんな包丁を使ってる料理人がいて凹んでる所が
綺麗じゃない・・・・・なんでここを綺麗にしないの?って・・・・
砥石が当たらないからクレンザーで洗ってるんだけど・・・と・・・・
しょうがないから耐水ペーパーをあげました。

まな板も乾いたままで使ってる・・・これでは魚や肉の血などがまな板の傷に入り込んで
汚れが取れにくくなる・・・匂いもです。以外にプロの料理人でもこんなもんです。

和食以外は包丁の斬れが良くなくていいなんて言う奴がいますがこれも間違い・・・
牛刀でパンを斬ってもカスが出るようではダメ・・・
ステーキの肉だってキレイに切った肉の焼き上がりが違いますし、
キャベツの千切りだって別物になります。
片刃が斬れるってもんも正解ではありません・・・・
両刃だって同じ位に研げますからね・・・日本の料理人が使う両刃でも
右利きと左利き用があって右利き用も若干ですが片刃に近い形状なんですよ。
包丁の手入れと砥ぎが片刃の方が簡単なだけ・・・

さてこれから自分の包丁の手入れの時間です・・・その前に床の掃除を先にやるか・・・

2012年9月17日月曜日

高橋兄弟の修行時代

昭和30年代の始まりに長男と次男さんが横浜の正金って当時は
全盛期の包丁鍛冶屋で修行していた時代の横浜の鶴見の画像から
横浜で獲れたアサリの販売の画像です。笑
今の横浜ではこんなに魚はとれないですよね

 こんな時代には包丁は造れば売れる良い時代だったそうです・・・
そんな時代の正金は凄くて、保土ヶ谷駅近くに本社工場が在って国道一号線を
戸塚方面にむかい権太坂という場所に第二工場がありまして



 慰安旅行でもこの人数なんだから鍛冶屋としては大規模だったんだそうです。
これが60年前の親父さんだそうです・・・なにげに?3男さんに似てるんですが?
鍛造ハンマーが何列かで並んでいて造っていたのだから凄いですよね
この背中は3男さんに似てる・・・?(笑)
コレ?現在のオヤジ様 同じように60年間ですからどの位の数の包丁を造ったんでしょうか?
次男さんは、本社工場で焼入れや仕上げの修業だったそうですが、保土ヶ谷第二工場は
裏山が有って、昼休みに山芋を取りに行って夕方まで帰ってこなくて、次男さんが代わりに
叱られたそうです。次男さん曰く「兄貴は昔から集中すると時間を忘れてやってしまうから
代わりによく怒られたよ」って・・・・・・・・包丁の硬さの実験で切れっ端で彫刻刀を
造り、石でハンコ彫りも刃先がどれだけ持つかとか包丁に名前をタガネで彫るのですが
それのために習字を習ったり・・・研究心がいっぱいでして・・・・
兄弟達は道楽だと思ってるんだが、必要だろ?って・・・・これがなかなかのハンコでして
凄い細かい字を彫ってるんですよ・・・・

高橋刃物の包丁は昔ながらの仕事とオヤジさんの発想で、他の鍛冶屋が考えないことを
やって出来上がるんです。へ~そうなの?そんなことで刃物が固くなるんだ?とか不思議な
事がいっぱいなんです。

それで、この270cmの本焼きは自分が以前買ったもので300cm「尺の本焼き」が
親父さん最後の作品・・・・本焼極上光友とタガネで彫るのが疲れて超極上光友って
彫ってしまった本焼き柳刃です。記念に磨いて鏡面にしてあげました。
6時間掛かりましたが・・・・出来上がるとあと数時間掛けてやりたくなってしまいます。
最後の一本は親父さん本人用で記念品にするんだそうです。


2012年9月15日土曜日

高橋刃物製作所閉店後の片付け

横浜以外のお客様も高橋刃物で包丁の砥ぎに持ってくる人が多いのですが
来る人来る人が、これから何処で包丁研ぎに出せば良いのか心配って声が・・・
包丁の製作は完全に終わりましたが、60年作り続けていたのでまだまだ在庫は
たくさん有ります。
工場の片付け作業で毎日店は、開いています・・・
包丁を買いに来る人も続いてるようで包丁研ぎもやっています。
工場の倉庫は大分処分されていて、昨日は何年もの?の?
鯨を切る包丁が出てきました。なんと刃渡り2mぐらい・・・・
よくもこんな長い包丁を真っ直ぐに造れるもんだと感心しながら
電気ノコで切断・・・昔は築地でも鯨を切っていたそうですよ・・・・・・
今は鯨なんて取れないから使う人もなく処分です・・・

60年の歴史は凄い・・・時代劇に出るような昔の鍛冶屋の道具とか
手作業で使う物がぞろぞろ・・・白の鉄板とか青の鉄板とか高級包丁の材料も
沢山あるのですが勿体ないけど廃棄処分・・・涙

工場の中はいつもコークスの火が有っていい匂いだったのが片付けで
ホコリの匂いが・・・寂しい気がします。

横浜の天王町駅近くに工房まささんて畳屋さんが包丁研ぎをなさっています。
ほとんどの包丁研ぎ屋の敵になりそうな価格なので遠くからでも来るそうですよ。
人柄が良さそうで横浜の名物になりそうな?砥石で手作業で格安・・・
日当にもならない価格が凄すぎなので生活大丈夫ですかと勝手に思えてしまうほど・・・
一般の人には強いみかたですね。

アルバイトでも時給1000円払ってる身には考えられません・・・
それほど楽な仕事ではないですからね。

それほどいい加減な研ぎ屋が多すぎです。
モノを大事にしないとか?グラインダーにかけてしまうとか?
人が大事にしてる包丁をダメにしてしまう研ぎ屋があるんです。
工房まささんなら、使ってる砥石の減り方で腕の良いのがHPでも判ります。

皆さんも良い研屋を見つけてくださいね・・・・・
安く買った包丁でも高価な包丁でもキレイに砥ぐと復活します。

さて・・・今晩は高橋刃物の包丁を買った東京の目黒からわざわざ
横浜の片隅の我が店にご夫婦で御来店頂きました。
高橋の包丁の宣伝用に撮ったキャベツの千切りから・・・・
まんまと騙されて?(笑)

なんと極上の包丁まで手に入れた若い料理人さんです。
奥さんも控えめな美人さんで、気持ちのいい料理人なのですが
こんな時代でなければ一緒に仕事をしたくなるような人です。
いろいろ悩みも有る様ですが、それも人生なので逃げずに頑張っていただきたいと
思います。
辛い時は、黙々と包丁砥ぎで集中してるとキレイに研げた包丁が心を癒してくれますよ・・・

私もですが、閉店後一人で音のない所で包丁砥ぎが好きです・・・
給料の何倍もした頃の包丁も今でも現役です。高橋の兄弟が造った包丁は
くじけそうになった時も今も変わらず生涯の右腕?
包丁砥をしてピカピカになると明日も頑張るか~って思えるんですよ。
この気持ちが解ってくると良いな?って思える日でした。

2012年9月14日金曜日

おろし蕎麦を食べに越前へ


 包丁仲間の東京の蕎麦屋さんで食べたおろし蕎麦が気に入り、蕎麦を食べる時は
メニューに有れば頼んでいます。岐阜のお蕎麦屋さんの所に行っても頼んでいます。
暑い夏には辛味大根を載せて食べると美味しいですよね~

能登半島は30年も行ってない・・・福井は全部制覇してない・・・合掌造りの集落も
観光客が多すぎてちゃんと観てない・・・此の所昔行ったけどちゃんと観てない所が
多すぎで、ちゃんと見てこようと考えています。

そんな訳で、横浜から岐阜県へ行って集落を見て廻り能登にのぼり越前そばを
食べる企画です。

 明け方に到着するように時間調整しながら夜中の山岳路を走り、迎えてくれたのは
なんとカモシカ・・・道路を散歩してました。明け方なので静かに集落に近づき撮影・・・
人は居ません・・・これが良い・・・睡眠の邪魔にならないように写真だけ撮って、近づかないように
歩いてきました。


 これが昼間だと、観光客だらけでね・・・場所によっては観光客は10時頃まで
進入禁止です。
それから、能登の輪島の朝市へ・・・30年前と見た感じは同じなんですが?
おばちゃんたちがまるでキャバレーの客引きか?って感じで買う気が失いました。
道が良くなって観光客も多くなって観光の目玉になって情緒がな?・・・・
早々に退散して千枚田に向かい先端の灯台や超人気のランプの宿などをみて
本日の宿へ貧乏なので国民宿舎へ・・・
二階に温泉があって目の前は海、今年初の松茸の土瓶蒸しも付いていて
日本海の魚が旨い。量は少なめですが調理師が良いのか全て美味しく頂きました。


普段呑まないのにビールなんか頼んで飲んでしまい9時には夢の中
気がついたのは朝の5時・・・これが良かったのか綺麗な朝日を見れました。
二日目は、朝からしっかり食べて有料道路を通り千里浜へ
ここも30年前に来ましたが浜が侵食でもっと広く感じたのに狭くなってました。
波打ち際まで来るまで走れる面白いところです
越前そばをネットで調べていたら福井はソースカツ丼なども有名なんだそうです・・・
ですがいくつも食べられないし・・・山の中の竹田の油揚げも有名なんだそうです・・・
此処のメニューを見たらおろし蕎麦と油揚げのセットが見つかりまして

 行く前からこれに決定。トーフ屋さんなので蕎麦は期待していませんでしたがこれが
美味い~。福井は油揚げ消費日本一なんだそうで食べてみないとの思いが・・・
油揚げが美味い。50分も掛けて揚げてるんだそうでこれならしょっちゅう食べてもいいなと
思うほどイケてます。これにトーフを混ぜたアイスクリームと豆乳を混ぜて焼き上げた
ロールケーキ、コーヒーのセットを食べたら腹いっぱい・・・・
食べに行く価値があるお店です。お土産に買っていこうと考えていたのですが
食べ終わってから見たら全部売り切れ・・・これは凄い・・・

歌舞伎役者が主演した道元禅師の映画を見ていたので永平寺へ、禅の本山ですが
禅のお寺だけに派手さがなくて好みです。昔だったら拝観料払うのが嫌で中に入らなかった
だろうな?と思いながら全部見て回りました。食べるのも、風呂に入るのもトイレに行くのも
修行というので私語は禁止。 うちの店でも携帯電話禁止に・・・
浅井家の一乗谷も観て  今回は予定どうり・・・ひたすら走って帰ってきました。

2012年9月6日木曜日

温泉のはしご

長野県へ毎年蜂蜜を買いに行くのですがただ買いに行くのも勿体ない・・・
いつもは一つ温泉に入るぐらいですが、今回は友達も会社を休んで同行すると言うので
先ずは、妙高の燕温泉の秘湯の露天風呂へ明け方に到着

夜が明け始めてから崖っぷちの道を歩いて一つ目の露天風呂へ
秋には紅葉が綺麗なので沢山の人が訪れるのですが下界はまだ夏
なので自分達だけ・・・午前5時ではそんなもの?
温度はそれほど熱くもなく30分ぐらいは入っていました。
それからもう一つの露天風呂へ
こちらの温泉の方が温度は高いのですが白さは低いかな?
秘湯なので料金は無し・・・誰でも自由に入れます。
前から一度は入りたいと願っていたのですが崖崩れなどでチャンスが会いませんでした。
宿泊以外の人の駐車場から20分以上歩くし道が悪いのでサンダルではバツ。
温泉の後は戸隠神社の奥社へ・・・若い時は往復一時間近くの奥社へは行かなかったので
今回初めて・・・入口の鳥居から真っ直ぐな道なのですが山の中腹の奥社は見えません
2キロほど歩いて山門がここから更に20分歩いて奥社なのですが
樹齢400年の大きな杉の木が立ち並び空気が違います・・・
最後の階段を登ると奥社です。
まだ早い時間だったので人は少ないのですが、パワースポットで有名になったのか
女性が多い・・・降りてから20年前ぐらいに食べた蕎麦屋が旨かったので探したのですが
記憶が曖昧で見つけられず・・・畑の蕎麦畑もまだ花が咲いてるので今年の蕎麦は
まだ・・・去年のそば粉なら・・・と長野へ・・・友達は善光寺へ行ったことがないというので
善光寺に寄ってお参りして有名な別所温泉へ
とっても古くからの温泉で上田の街から電車が昭和の初期から有ります。
街の中のお寺には日本にひとつしかない八角三重塔があったり
小さな温泉街ですが古き良き温泉街です。
数件の外湯があったりして気軽に温泉に入れるのも魅力です・・・
今回は、休憩もできる駅の前にあるあいそめの湯で一休み
外湯もここも夜10までやってるので凄い・・・外湯は朝6時から夜10時まで
地方でこんな長い時間あけてるのが凄い?
単純泉ですが硫黄の臭いがします。キレイで気持ちが良い温泉です・・・
ここで二時間も寝てしまい体力復帰・・・
美ヶ原からビーナスラインで霧ヶ峰を通り白樺湖へ30年近く前の頃は有料で
料金が10代の時分達には高額で夢の道・・・ですが今は無料・・・・
天気も良かったので走らなけりゃ~・・・大回りですが・・・・
夏に届いたマツダのCX-5は燃費が良いので気にしない・・・力も有るので
スイスイ2000mの高地まで登ります。天気が良ければ本当に楽しい道です。
此処からは帰り道・・・韮崎旭温泉へ・・・此処の温泉は畑の中でしたが最近は
少し周りに家が増えてきた、こんなところに?って温泉ですが泉質がスバラシイ~
炭酸泉なのに42度源泉のかけ流し・・・体に炭酸が付くと膜になって温泉がぬるく
感じて長湯をしてしまいます。毛細血管が開いて疲れも取れて、温泉から出てから
汗が止まりません・・・友達も感激・・・・
帰りにぶどう、梨、りんご、プルーンなどなどを買って食事をして
無事に水曜日のうちに帰宅できました。
一日で767km、軽油給油52.6L・・・高速をあまり使わず山道ばかりでしたが
1L/14km燃料代が掛からないので助かります。