2015年5月19日火曜日

天皇の料理番

お客さんから、天皇の料理番のTV観てる?

その時間、仕事ですから観る事が出来ませんが、秋山徳蔵さんとは

時代が違うので観たことも係わったこともありません・・・

ですが、最初の師匠は明治生まれで戦後は横浜のアメリカ軍の

将校クラブのコックだったのでニューグランドのコック達とは親しく

していたようでして、ニューオークラの小野さんとか親しくしていたようです。

その関係から秋山さんの息子さんが一時期、横浜でレストランを営んで

いた時に経営の方がおもわしくなくて、小野さんからの依頼で

アドバイスしていたそうです。そのレストランで小僧をしていたのが

石鍋さん・・・初代料理の鉄人・・・横浜出身でその店に・・・

そのくらいの繋がりしかありませんが、小野さんも横浜育ちで

オークラのシェフになってから迎賓館での料理を一年おきに

帝国ホテルと交互に担当していたのでしょうか?

日本エスコフィエ協会というフレンチの会を作り、迎賓館で人が足りないと

この会からお呼びが来ると先輩が言っていました。

最初の店は横浜の洋食屋ですが、修行してホテルや結婚式場の

料理長も数人いましてその中の数人・一人だけ会った事が有るので

正確には一人だけですけど小野さん繋がりで入っています!

最初の師匠には先輩に続いてお前も頑張れば紹介状を小野さんに

出すから頑張れよと言われていましたが・・・

一年経たずに癌になってしまいまして・・・入院する前に本当は

10年居ないと教えないソースとかワンツーマンで一度だけで

憶えなさいと見せてくれました。まだ全然料理の初心者でしたが

今出来なくても味で憶えなさいとね!セロリの使い方ひとつで

こんなに変るもんなのか?とただ感心していましたよ・・・

もしもなかなか退院できなかったら小野さんに紹介状を書くから

と言われましたが、師匠の味を忘れたくなくて断りましたが・・・

秋山さんと師匠は同年代で師匠は神戸のホテルで仕事をしていて

横浜に店を出してから数度会った事もあるようでしたが?

解らないことがあったら格下の料理人にも頭を下げて教わるほど

料理が好きな人だったよって・・・天皇にカエルを食べさせたり、

食べたことも無いだろう一般の料理などを食べさせる為に

天皇の為に頭を下げて教わったりしていた事を聞いたことが

有ります。

まぁ~そんな話を聞いていたので俺も洋食だけでなく、和食も

中華の技術などにも興味が有るのかも知れませんが・・・

修行時代、朝食と孫の弁当などは作らせてもらっていて

弁当のから揚げが孫が美味いというと師匠も食べて褒められたり

何を入れたとか質問されたり・・・厳しいけど嬉しい事もあったな?


料理は何年経っても新しい発見も有るし、美味い物は他にも沢山

有るし、料理の技法もいっぱい有ります。

そんなことで自分的には洋食ですが、どんどん聞くし食べに来ます!


さて今度の天皇の料理番・・・面白かったら教えてね?笑

料理は目で耳で匂いで研究してね!

2 件のコメント:

  1. クロソイです。

    料理は上野の精養軒さんも入っていた様です。

    それじゃー グランドの巻山さんや、キャッスルの荒田さんと
    関係のある親分ですね。うらやましい!

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    1. 戦後はほとんどが横浜のホテルから有名になったというか?
      戦前から外人用ホテルが多かったからね・・・ですが神戸のホテルの方が
      料理は美味かったという話も? 横浜は歴史と東京に近かったからでは?
      お二人と関係はどうなんでしょうか?
      戦争中は海軍のお偉いさんの料理を作って、戦後はアメリカ軍の将校クラブで
      働いていて、アメリカ人シェフにボストンの料理学校だかの本を貰って
      その本の名前を店につけたそうですけど?横浜でフランス人シェフに教わって
      えらくなった人は多いけど?コックのバブル時代だから料理は如何な物か?

      それこそ、昔ながらの料理は函館にあるでしょう?その時代の・・・
      横浜には昔ながらの料理はもう無いですよ・・・
      詳しい裏話はここには書けませんが・・・本場のフレンチが日本の会席料理などの影響で明治大正昭和の料理は今ではフレンチ料理に入らないのかも?

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