2012年11月20日火曜日

東源正金

一部の方に誤解が有るようで・・・正金と高橋刃物の事・・・・

オヤジ様兄弟からいろいろ聞いているのですが、いちよう親父さんの師匠って事で

悪い事を書くのも? 

昭和の戦後、物資が無い頃に何処かで上手く仕入れた鉄で包丁を大量に作る事が

出来たらしく自分の修行した店でも正金の包丁が有りました。

というか? 牛刀では戦後に日本では一番有名な量産メーカーになっていたんですね、

鍛造職人だけでも数十人、会社に100人ぐらいの従業員がいたそうです。

親父さんの退職金というか一郎さんが使っていた鍛造のベルトハンマーを

貰ったのですが分解されて?壊されての方が近いかな?

高橋が開業して、本当の昔ながらの仕事をして良いものを造れるようになると

問屋に圧力をかけて取引をしないようにとか・・・

高橋では、松炭やコークスで火造り・・・正金は重油・・・これだけで勝負がつくほど

品物が変わるんだそうです・・・

とにかく作れば売れる時代で、問屋などには金を先に出さなければ売らないとか

契約金を出せとか・・・強気でできる時代だったそうです。

そんな時代も終わり、正金では職人をやめさせたり出て行ったり・・・

正金の社長が死んでから跡目争いなども有り、他所に造らせて正金の名前を

入れて過去の栄光だけで商売していました。となれば包丁を知る料理人は離れて

行き、何十年も前には誰も使わなくなってきました。

なので昔の正金と昭和40年代のとは見れば違いがわかるんですよ。

十数年前までは横浜の権太坂に有った跡地で営業してましたが

今はマンションが建っていて数年前までは片隅に正金の看板がたっていましたよ。

なので高橋刃物と正金は師弟関係が有ったが、その後の関係は無し。

問屋さんに知り合いが居れば、聞いてみるといいと思います。

ろくな話は出てこないはず・・・?

自分がこの世界に入った頃、既に高橋の包丁を選びました。

というかこっちの方が高いけど、品物は良いよ・・・って

昭和の戦後すぐの頃の東源正金の横浜保土ヶ谷第二工場です。
この当時に外車ですから勢いが判ります。

2 件のコメント:

  1. この写真はどちらから入手されたのですか?
    下の写真は国道1号線を挟んだ現在の児童公園の丘から撮影されたものですね。
    右の平屋の建物は社宅です。その手前にブドウの棚、写真には写ってないですが
    その下に防火用水の貯水池がありました。
    社宅の右手にはお稲荷様が祀られ、手前の道は今でも箱根駅伝の難所『権太坂』で
    多くの人が応援に出ていました。

    上の写真の堀江社長は機械に巻き込まれて手を負傷し不自由されていましたが、
    天皇陛下より賜った勲章がとても嬉しかったようでした。

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  2. blogのコメントとかの仕様が変わって気が付きませんでした。
    御免なさい!斉加年の元従業員だった高橋刃物の社長さんからですよ!当時の場所には一族のマンションになっていると思われます。まだ正金の看板が立ってますよ!動物病院の隣に有ります。
    多分なのですが戦後の鋼鉄のない時代に戦争で壊された鉄道のレールとか手に入れていたのでしょうね?

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