2015年4月19日日曜日

庖丁の魔界の世界其の四

良いステンレスの庖丁は出来上がった!

だけど圧力で関東では売れない・・・

なら地方に売りに行けば良いや~って考えで

東京の見本市に出展したりして名古屋のだるま屋さんの先代が

見つけてくれてその日のうちに工場まで来て取引開始!

日本中。。。。?関西に・・・東北に!

関西はこれまた大きな組織な堺の庖丁集団ですよ・・・

ここで認めてもらわないと命取り・・・

幸いにして認めてくれた問屋さんが堺さんの親父様!

堺は和庖丁の世界だから良かったのか?

関東へは堺経由で販売網が・・・・これが面白くて

自分が買った光のぺティーは、堺さんが売った店でして

横浜の鍛冶屋が作った庖丁が堺へ行って横浜の店に卸して

それを横浜のコックが買った・・・笑

なので判らずに数十年前から堺さんとの繋がりもあった訳ですね!

奏功してる間に今度は堺で紹介された沖芝さんの鍛冶屋に

堺さんから紹介されて連れて行って見た和庖丁・・・・


関東の名人の所にも行ったのですが10年奉公への話で止め

沖芝さんの作り方を見たり、実際に本焼き庖丁を買い

とうとうやり始めてしまった親父さん・・・・

鍛冶屋をやって洋庖丁専門で修行したのでここから始まり!

玄海さんも堺さんが沖芝のところに連れて行ったので

条件も同じ・・・和庖丁の本焼きは玄海さんの方が上?

そんなことを書くと叱られそうですが・・・

親父さんは鎌倉の刀の影響と関東の直線の土置きの仕方で

なら土置きしないでも本焼きを造れるだろう?ってな考えで

始めは、鎌倉の土地の土を試して・・・・試行錯誤・・・

いろいろ試したら正国の刀の稲妻が現れた!これは凄い!

ですが、次の日に真っ二つに割れて・・・・

これで懲りたのか?土を置かずに本焼きも出来るだろうと?

なので波紋がある本焼きが無いのが少し勿体無い気持ち?

親父さんは俺には稲妻が出たことは話したけど・・・・

次の日に真っ二つは内緒にしていたみたい?笑

この辺の同じような話は、山口県の刀匠、故杉田止善昭氏が

挑戦していましたね! ストイックな人柄で良くも悪くも挑戦した

最後は自殺したようですが・・・・生きて欲しかった!

親父さんはここまでの人でなくて良かったのかも?

親父さんも玉鋼でも昔の玉鋼でないと、と考えていたらしい?

この杉田さんのシリーズ面白いですよ!

鍛造と焼き入れ・・・

0 件のコメント:

コメントを投稿