昭和30年代の始まりに長男と次男さんが横浜の正金って当時は
全盛期の包丁鍛冶屋で修行していた時代の横浜の鶴見の画像から
横浜で獲れたアサリの販売の画像です。笑
今の横浜ではこんなに魚はとれないですよね
そんな時代の正金は凄くて、保土ヶ谷駅近くに本社工場が在って国道一号線を
戸塚方面にむかい権太坂という場所に第二工場がありまして
これが60年前の親父さんだそうです・・・なにげに?3男さんに似てるんですが?
鍛造ハンマーが何列かで並んでいて造っていたのだから凄いですよね
この背中は3男さんに似てる・・・?(笑)
コレ?現在のオヤジ様 同じように60年間ですからどの位の数の包丁を造ったんでしょうか?次男さんは、本社工場で焼入れや仕上げの修業だったそうですが、保土ヶ谷第二工場は
裏山が有って、昼休みに山芋を取りに行って夕方まで帰ってこなくて、次男さんが代わりに
叱られたそうです。次男さん曰く「兄貴は昔から集中すると時間を忘れてやってしまうから
代わりによく怒られたよ」って・・・・・・・・包丁の硬さの実験で切れっ端で彫刻刀を
造り、石でハンコ彫りも刃先がどれだけ持つかとか包丁に名前をタガネで彫るのですが
それのために習字を習ったり・・・研究心がいっぱいでして・・・・
兄弟達は道楽だと思ってるんだが、必要だろ?って・・・・これがなかなかのハンコでして
凄い細かい字を彫ってるんですよ・・・・
高橋刃物の包丁は昔ながらの仕事とオヤジさんの発想で、他の鍛冶屋が考えないことを
やって出来上がるんです。へ~そうなの?そんなことで刃物が固くなるんだ?とか不思議な
事がいっぱいなんです。
それで、この270cmの本焼きは自分が以前買ったもので300cm「尺の本焼き」が
親父さん最後の作品・・・・本焼極上光友とタガネで彫るのが疲れて超極上光友って
彫ってしまった本焼き柳刃です。記念に磨いて鏡面にしてあげました。
6時間掛かりましたが・・・・出来上がるとあと数時間掛けてやりたくなってしまいます。
最後の一本は親父さん本人用で記念品にするんだそうです。
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