2024年12月11日水曜日

2024年色々ありました


 約6年間、母親の介護で、朝食事を作りディサービスに連れて行き、夕方迎えに行って食事を作り・・・日曜日はディサービスが無いので土曜日から月曜日の夕方までショートステイとかで、店は昼だけ営業の6年間でした。

コロナの給付金で店の維持は助かり、介護5になって骨折からは車いす生活で、ベットから起こしたり寝かせたり

人生で一番母親と一緒に居た感じでした!

最後は特養のお世話になって今年の8月の27日の夜に天国へ!まぁそれからが忙しくてお寺とか葬儀屋とか火葬場の予約とかで葬式は一週間後・・・火葬場が足りないようで?

一度は兄が老人ホームに入れたのですが、会いに行くと帰りたがるし、母親が汚した部屋の掃除は、本人か家族がやるので、昼休みの時間に掃除に行ったりで、仕事の合間肉だけでは足りなくなったのもあるので、住んでいた家を建て替えて介護が出来る家に建て替えて、一緒に住むことに



母親の部屋にもトイレを作り、ガレージからそのまま車椅子で出入りできるようにしたりして、何時かは車椅子が割とすぎに使うようになったりして・・・

一緒に生活するようになってからは、一切の家事は一人でやるようになって・・・


だんだんと痴呆も進み箸を逆に持つように
なったりして・・・
最後まで面倒を看取る予定でしたが
コロナも有るし、一人で介護をしていたので
ケアマネジャーがこの先必要になるだろうと
特養は直ぐに見つからないから予約だけでもと!
そうしたらコロナで死んでいく人が多いのか冬だったからか直ぐに希望の特養が見つかり入ることに・・・
自宅での最後の食事に孫と曾孫が来てくれて
凄く喜んでくれました・・・
特養に入ってから少しはコロナの影響で面会は中に入れずに・・・
スイカが好きだったので2月の熊本の温室栽培のスイカから、9月の青森や秋田のスイカ迄カットしてタッパに入れて持参して・・・dン段会いに行っても寝てる時間が多くなりまして

スイカが終わりの頃の8月27日に天国へ!
家に引き取った頃は歩けたし普通の老人でしたが数年の変化は凄く早かったですよ!普通に旅行にも連れていけたし、食事にも連れて行って大丈夫でしたが・・・

いつでも戻ってこれるように死ぬまでは部屋はそのままにしておきましたが、葬儀の後、49日や埋葬で忙しく、その後も役所や銀行、相続などなどまだまだ忙しい合間に
やっています・・・以前はホントに大嫌いな母親でなんでも兄には言わずに俺に頼むし、いろいろと口出しするし、痴呆が始まった頃はホントに嫌で嫌で・・・
それがね?誰もしないから介護で長く一緒に居たら
円形脱毛になるし・・・大変でしたが
俺しか面倒を見る人いないから・・・
なんだか可哀そうになってきて?
何だか心の中が穏やかに?
自分も歳をとったのか成長したのか?
なんだか不思議な気持ちで送りました!